Mumukṣutva
मुमुक्षुत्व (mumukṣutva)
解放への燃えるような願い──無知が鍛えた束縛から、自己の本性を知ることによって解き放たれる渇き。その最たるものが、自らを「行為する主体」と信じる幻想だ。ヴェーダーンタの四つの心構えの第四にして最後、<em>ムムクシュトゥヴァ</em>とは、他のすべてを動かすもの。これがなければ、識別も離脱も実を結ばない。それは漠然とした霊的願望でもなければ、心地よい境地への憧れでもない。解脱そのものだけを求める、揺るぎない意志である。
Il desiderio di essere liberato tramite la conoscenza della propria natura da vincoli come il considerare sé stesso colui che agisce, che è prerogativa del corpo ed è creato dall’ignoranza, è desiderio di liberazione.
**「自己の本性を知ることによって、行為者としての自己を認めるような束縛——それは身体に属し、無知から生じるものであるが——から解放されたいという欲求、これが解脱への欲求である。」**シャンカラは『ヴィヴェーカ・チューダーマニ』における四つの心構えの最後を、mumukṣutva(ムムクシュトヴァ)と呼び、分別、離欲、そして忍耐を含む六つの資質のグループに続くものとしている。この語は、muc-(解く)の願望形mumukṣu(解放を求める者)から派生し、mumukṣutvaはその渇望の状態を指す。
ここで定義される束縛とは、「自分を行為者とみなすこと」——すなわち、自己を行為の主体と同一視すること——に他ならない。この同一視は身体にのみ属し、無明から生じる。そこから解き放たれるには、真の自己であるアートマン——行為しない目撃者——の智慧を得ることが前提となる。Mumukṣutvaは、単なる「より良い状態への願望」ではない。それは、この同一視という唯一の絆を断ち切ることに向けられた意志なのだ。
シャンカラは続く詩節で、この欲求の力学を明らかにする。解脱への欲求は、たとえ微弱であっても、師の恩寵によって実を結ぶ可能性がある。しかし、強い離欲と燃えるような解放への渇望を兼ね備えた者においてこそ、平安やその他の資質が真に実り豊かになる。この欲求が生ぬるいままでは、見せかけの平安は「砂漠の水」ほどの実体もないと警告する。こうして最後に位置づけられる心構えは、他のすべての価値を決定づけるものなのである。
Mumukṣutva ≠ 精神的好奇心。好奇心は「知りたい」「状態や経験を蓄えたい」という欲求であり、所有すべき対象に向けられる。一方、解脱への欲求は、いかなる対象も求めない。それは、行為の主体と自己を同一視する絆を含め、束縛から解かれることを求めるのみ。だからこそ、この欲求は四つの心構えの最後に来る。真実を分別し、無常から離れてなお、残るのはモークシャを——それ以外の何ものも——求めないことだけなのだ。