Noa
マオリ語の言葉:*noa*とは、普通の状態、自由で安全なありよう、そして*tapu*の対となるものである。内なる声、ンガーティ・アワのヒリニ・モコ・ミードによれば、*noa*を*tapu*の反対やその不在と考える必要はないという。*noa*とは、均衡が戻り、危機が去り、健康が回復し、生活が再び平常に戻ったこと——つまり関係性が修復されたことを意味する。あまりに高い*tapu*は危険であり、ティカンガやトフンガの役割は、それを下げて*noa*、すなわち安全な状態にすることである。*noa*となった者は、それでもなお個人的な*tapu*を保ち続ける。*noa*とは聖なるものの消滅ではなく、日常の適度なありように戻ることであり、それによって再び他者との接触や共在が可能となるのだ。
It is not useful to think of noa as being the opposite of tapu or as the absence of tapu.
ヒリニ・モコ・ミード——内なる声、ンガーティ・アワの一人——が記すノアは、しばしばタプと対になぞらえられ、あたかも一方が他方の裏返しであるかのように語られる。しかし彼はまずこう釘を刺す:「noaをタプの反対やタプの不在と考えるのは有益ではない」——ノアはタプの対極でもなければ、その欠如でもない。そしてこう付け加える:明らかにそうではないのだ。
重い病にかかり、出血する者は、非常にタプとなる。そのタプを高める症状が去れば、その者は安全な状態に戻る——しかし、個人的なタプは依然として保たれている。ノアは決して聖性を取り去るものではない。それは均衡が回復し、危機が終わり、健康が戻り、生活が再び平常に戻ったことを示す。つまり、関係性が修復されたということでもある。タプが高すぎることは危険とされる。ティカンガやトフンガの役割は、それを下げてノア——すなわち安全——に至らしめることだ。その循環は、原因から応答——ウトゥ——へと続き、やがて均衡の回復へと至る。
ゆえにノアは、タプの解除でも喪失でも、その反対や虚無でもない。それは日常が取り戻された状態であり、生命に秩序が戻った姿である。そこでは再び近づき、触れ、分かち合うことが許される——聖性が消えたわけではなく、ただ誰もを危険に晒さない高さに戻っただけなのだ。