Pali · 仏教

Muni

मुनि (muni)

古代インドの*ムニ*は賢者である——だが、この言葉はまず「沈黙する者」を意味する。すなわち、沈黙(マウナ)を住処とした者だ。しかし『ダンマパダ』は、それを単なる無言の問題とはしない。心が乱れたままでは、黙っているだけでは足りない。ムニとは、「物事の両面」を量り、善の側に身を置いた者——その沈黙は、心の平安の<em>結果</em>であって、原因ではない。

Le silence seul ne fait point un muni d’un homme agité et ignorant. Après avoir tout pesé et choisi le meilleur lot, le savant qui évite le mal, — voilà celui qui est un muni.
Dhammapada (attrib. Bouddha), Dhammapada, ch. XIX (Le Juste), v. 268-269. Ernest Leroux, 1878 · trans. Fernand Hû · source

ムニ (muni) はサンスクリットとパーリ語に共通する汎インド的な語で、訳者たちは「賢者」「苦行者」「孤独者」などと訳す。その語根は マウナ (mauna)、すなわち「沈黙」に結びつき、ムニとは語源的に「沈黙する者」――言葉の抑制を内面化し、それを生き方とした者を指す。ブッダ自身も シャーキャムニ (Śākyamuni)、「シャーキャ族の沈黙する者」と呼ばれる。

『ダンマパダ』の一節は、この言葉の表面的な意味に反する。ムニが「沈黙する者」を意味する以上、沈黙さえあれば賢者が成ると思われがちだが、そうではない。「心騒ぐ無知な者が、ただ黙っているだけでムニとなるわけではない」。乱れた心の沈黙は、外見に過ぎず、その乱れを覆い隠すだけで解消はしない。ムニは、その者が「秤にかけた」ことによって見分けられる――「物事の両面を見極め」、有益と有害を区別し、善の側に身を置いた者だ。その沈黙は、渇きが癒えた後に訪れる静けさのようなもので、その前ではない。

砂漠の父たちの沈黙とは異なる。アルセニオスのヘシュキアは、誰かへの逃避である。魂が沈黙することで、神が語りかける準備を整える――沈黙はそこで「土台」となり、建築の第一歩となる。一方、ムニの沈黙は誰からも逃げず、いかなる声も待たない。それは、内なる動揺を鎮めた心の均衡であり、もはや何も動かぬがゆえに沈黙する。一方は築き、他方は静まる。しかし、どちらも沈黙を口を閉ざすことと混同しない。ムニ ≠ 砂漠の修道者――二つの沈黙、同じく「無音をもって智慧とする」誤りを拒む。

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