都市における非人間との共生:外交か共生か
同じ領域に響く二つの声
市は、人間と非人間が交差する場でありながら、必ずしも出会うことのない場所である。街路樹は並木道を縁取り、雑草はアスファルトを突き破り、鳥たちは建物の隙間に巣を作る。こうした空間をいかに住まうべきか——支配することなく、また自らを消し去ることなく。二つの提案が浮かび上がる。そのアプローチは異なるが、問いは一つだ。関係性の問題である。
沈黙の言語の外交
バティスト・モリゾが提唱するのは、共生を交渉によって成立させる道である。それは、我々の言葉を話さないものに耳を傾けることだ。樹木は、例えば、別の仕方で語りかける。根を通じ、葉を通じ、季節への応答を通じて。その沈黙は無意味ではなく、別種の表現である。
エコロジーと生物多様性 樹木の正しい使い方 , フランシス・アレ, 2011. 薬草学のための弁明 , ティエリ・テヴナン, 2013.
これらの参照は偶然ではない。非人間の存在様式を真摯に受け止める知を指し示している。『樹木の正しい使い方』は、樹木が独自の知性を持ち、世界に在る仕方を理解するに値することを示唆する。『薬草学のための弁明』は、植物が単なる資源ではなく、人間と共進化してきたパートナーであることを想起させる。ここでの外交とは、これらの他者性を我々のカテゴリーに還元することなく認めることだ。識別した上で対話することが求められる。樹木は人間ではない。雑草は道具ではない。都市におけるそれらの存在は装飾ではなく、我々の住まい方を調整するための招待状なのだ。
このアプローチは融合を目指さない。交渉を重ねるのだ。それぞれの種が独自の利害やリズムを持つことを前提とし、都市の共生はそれを考慮に入れなければならない。対立を否定するのではなく、妥協点を見出す機会として捉える。歩道のひび割れに根を張る樹木は、排除すべき障害物ではなく、その持続性によって我々の空間支配に疑問を投げかける対話者なのである。
不揃いの親縁性の共生発生
ドナ・ハラウェイが提示するのは、交渉を経ない共生の道である。彼女にとって、種間の境界は固定された線ではなく、新たな生命形態が生まれる接触帯だ。都市は、人間と非人間が触れ合うことなく併存する空間ではなく、その存在が絡み合う場である。
不揃いの親縁性を紡ぐ者たちへ 序章
不揃いの親縁性とは、伝統的なカテゴリーを超えて結ばれる絆を指す。親縁性は生物学的なものに限らず、物語的、感情的、実践的なものでもありうる。それは人間と樹木、都市と鳩、庭と昆虫を結びつける。これらの関係は対称的ではないが、現実のものだ。そこに参加する者たちを変えていく。
ハラウェイは識別を通じた対話を目指さない。種間の境界が曖昧であることを認めるのだ。都市の樹木は孤立した他者ではなく、人間、植物、動物、微生物が相互に影響し合う広大なネットワークの一員である。共生発生——異なる生物が融合して新たな生物を形成する過程——は比喩ではなく、生物学的かつ文化的な現実である。都市はこうしたハイブリッド化の実験室なのだ。
このアプローチは差異を否定しないが、それを連続体の中に位置づける。樹木を植える人間は、単にそれと交渉するだけではない。それぞれが他を変容させる共通の歴史に参加するのだ。共生は契約ではなく、歩きながらその歩みを学ぶ舞踏である。
頂を共有する:分かち合う空間
この二つの提案は対立するように見える。一方は識別を重視し、他方は融合を説く。しかし、両者は一つの本質的な点で一致する。都市は人間の領域ではなく、分かち合う空間だということだ。沈黙の言語に耳を傾けるか、不揃いの親縁性を紡ぐか。いずれにせよ、課題は同じである。支配することなく住まうこと。
モリゾは我々のカテゴリーに抵抗するものとの交渉を提案する。ハラウェイは周囲のものによって変容されることを示唆する。どちらの場合も、完全なコントロールという幻想を手放すことが求められる。都市の樹木は管理すべき対象ではなく、共に創造するパートナーである。舗装の隙間に生える雑草は迷惑ではなく、大地との関係を問う存在なのだ。
外交と共生は解決策ではない。問いの立て方である。我々でないものといかに共に生きるか——それを矮小化することなく、また我々自身を溶解させることなく。答えはおそらく、二者択一にあるのではなく、その緊張関係そのものにある。識別しつつ耳を傾け、融合しつつ消し去らない。都市の共生はその両方を必要とする。
引用出典
- Baptiste Morizot, Raviver les braises du vivant, 版 .
- Donna Haraway, Vivre avec le trouble, 版 .