Recoge sus pasos
shiwilu (anc. jebero ; Alto Amazonas)
シウィル族の宇宙観によれば、メネレオ・カレアハーノが伝えるところでは、死者の魂はまっすぐ第三の世界——精霊と星々の世界——へと昇るわけではない。守護者ワハンに迎え入れられる前に、魂はまず「歩みを拾い集める」(<em>recoge sus pasos</em>)ことが求められる。すなわち、生前にその人が歩いたすべての場所を再び巡るのだ。すべての歩みを拾い終えるまで、ワハンは通過を許さず、魂を突き返す。すると死者は喪の最中に蘇り、歩みを終えた後に再び死ぬ。シウィル族にとって死とは、一度にこの世を去ることではない。それは、最後の一巡を経て、生の痕跡すべてを集め終えたときに初めて、その扉が開かれるのだ。
Cuando muere una persona su espíritu “recoge sus pasos”, andando por todos los lugares donde estuvo cuando vivía. A veces, Wahan no permite que el muerto pase, porque no ha recogido todos sus pasos.
歩みを拾い集める — 「歩みを拾い集める」。アマゾン上流域のシウィル人にとって、死は直接あの世へと続くものではない。メネレオ・カレアハーノによれば、人が死ぬとその霊は生前歩いた場所を一つひとつたどり直す。最初の一歩から最後の一歩まで、道のり全てを再び歩くのだ。
三つ目の世界、すなわち精霊と星々の世界の入り口には、守護者ワハンが立つ。時には死者を通さないこともある——なぜなら、まだ歩みを全て拾い集めていないからだ。ワハンは死者を突き返す。すると奇妙なことに、死者は葬儀の最中に蘇り、再びしばらく生きる。歩みを拾い集め終えるための時間を得て、それから二度目の死を迎える。今度こそ道は開かれる。シウィル人にとって死は一瞬ではない。それは課せられた最後の道程であり、やり遂げるべき旅なのだ。
この信仰が描き出すのは、魂の地理学である。そこでは生は消えゆく時間ではなく、領域に刻まれた痕跡——川岸、小道、チャクラ(畑)、漁場——なのだ。死ぬとは、その痕跡を拾い集め、何も散逸させないこと。歩みを「拾い集めた」魂とは、地上での存在の全てを一つにした魂である。
単なる死後の審判とは異なる。そこでは魂が裁かれるのではなく、まずは歩んだ道の完全性が通過の条件となる。善悪の天秤ではないのだ。また、生者のウォネのようなビジョンの旅とも異なる。ティクナのウォネでは、修行者が変性意識状態で世界を渡るが、「歩みを拾い集める」ことは自発的な旅ではない。死後に課せられた、自らの生を再び歩む義務なのだ。世界を探索するのは霊ではない。一人の人間の歩みが全て拾い集められて初めて、その境界は開かれる。