崩壊を住まう:能動的憂愁と共生的回復力のあいだ
混乱の意識への二つの道
壊の意識は、混乱に溺れることなくその中に身を置く知性を求める。ここに応答し合う二つの声がある。互いに混じり合うことはない。一方はエドガール・モランのもので、能動的憂愁へと誘う。そこでは知性の不運に対する明晰さが、対話的思考の基盤となる。もう一方はドナ・ハラウェイが担うもので、絶望を地平としない回復の実践を育むことを提案する。この二つのアプローチは対立しない。むしろ、幻想や諦めを共に拒むことで補完し合うのだ。
能動的憂愁:その限界に向き合う知性
モランは人間の知性を根本的な緊張のただ中に置く。それは同時に幸運であり不運であり、光であり影である。彼は『方法──道』においてこう記す。
人間知性の知性 知性の資質 知性の幸運と不運 思考の対話性 構想を構想すること 意識の意識 無意識の氷山 意識の未発達 結論──ミネルヴァの梟 人間精神の前史
この列挙は単なる目録ではない。それは人間精神の強さと弱さの地図を描く。モランにとって知性とは、それ自体に内在する罠を抱えた能力である。その「不運」は外部の偶然ではなく、知性の働きに固有のリスクなのだ。例えば「思考の対話性」とは、矛盾する論理を同時に保持する能力だが、そのためには自らの限界を鋭く意識することが求められる。
能動的憂愁はこの自覚から生まれる。それは諦めではなく、それでもなお行動を可能にする明晰さである。モランが言う「無意識の氷山」や「意識の未発達」は、対峙すべき現実として提示される。崩壊はこの観点から、単なる外的危機ではない。それは同時に、われわれの集合的知性の亀裂を露わにするものでもある。憂愁はここに動力となり、闇の中でも思考し、不確実性の中でも行動するエネルギーを与える。
共生的回復力:混乱とともに生きる
ハラウェイは『混乱とともに生きる』において、別の道を示す。彼女はトラウマの重さを否定しないが、それを地平として固定することを拒む。彼女はこう書く。
彼女は、ブラック・メサの歴史に刻まれた原初的かつ反復的なトラウマに、否定もシニシズムも絶望もなしに向き合えるような回復の型を提案する。
ハラウェイの言う「回復」は過去への回帰ではない。それは能動的な修復である。混乱とともに生きること──それを最終的に解決しようとはせずに。トラウマは消去されない。それは共生(シンポイエーシス)の実践に組み込まれ、人間と非人間が協働して回復力ある生の形を創り出す。絶望を拒むことは楽観主義ではない。最悪が存在の条件を決定づけることを許さないという決断なのだ。
ハラウェイは、否定やシニシズムに陥らないことの重要性を強調する。この二つは異なるが、ともに変革的行動の可能性を否定する点で共通する。共生は逆に、世界の複雑さを受け入れつつそれに従属しない実践である。それは崩壊がもたらした亀裂を、部分的にでも修復する関係性を育むことを提案する。
緊張を保つ:一つの知性の二つの運動
この二つのアプローチは排除し合わない。崩壊に直面する一つの知性の二つの側面として応答し合う。モランは悲劇的意識、人間精神の限界を認識する必要性を強調する。ハラウェイはその限界にもかかわらず行動し、混乱に埋没しない生の形を創り出す能力を説く。
能動的憂愁と共生的回復力は共存しうる。前者は知性の不運に対する明晰さを、後者はそれを乗り越える実践を提供する。合わせて、崩壊の意識が麻痺に至るのではなく、より謙虚で創造的な行動へと導く道筋を描くのだ。
モランが「ミネルヴァの梟」を語る時、それは黄昏にのみ姿を現す知恵の象徴である。ハラウェイが「回復」を語る時、それは廃墟から立ち上がる再生を意味する。この二つのイメージは矛盾しない。崩壊を終わりとしてではなく、人間知性がその複雑さ──脆弱でありながら創造的、明晰でありながら修復的──を全面的に発揮する瞬間として捉えるよう促すのである。
引用出典
- Edgar Morin, La Methode, 版 Seuil, 1993 (avec Anne Brigitte Kern).
- Donna Haraway, Vivre avec le trouble, 版 .