sahaja
存在の自然な状態、自発的で後天的なものではない、そこでは二元性が消えながらも個性は失われない。*それは*魂と神性が完全には融合せずに共存する神秘的な合一を指し、相互の愛の関係を保つ。この言葉は、あらゆる思考の構築や教義に先立つ、即座の叡智を体現する。
VII and IX.] The soul's union with Him is a love union, a mutual inhabitation; that essentially dualistic relation which all mystical religion expresses, not a self-mergence which leaves no place for personality.
以下は日本語訳です:
サハジャとは、花が開くように、あるいは息が行き来するように、努力なしに生じるものである。それは征服ではなく、認識である。魂は、自分が決して分離していなかったことに気づくが、同時に独自性を保ち続ける。カビールの言葉は、この豊かな緊張を照らす。合一は吸収ではなく、愛の共存である。神と人間は互いに内在し合うが、どちらも相手を溶解させることはない。この関係は、親密でありながら境界を尊重するものであり、神秘体験の中核をなす。
個性を消し去る融合とは異なり、サハジャは本質的な二元性を保つ。魂はその人格を保持するが、それはもはや障害としては体験されない。むしろ、それは出会いの場となり、愛が自由に循環する空間となる。この智慧は複雑な教えによって伝えられるものではなく、忘れられた自明の理として、瞬間に顕れる。それはどの流派にも属さない。なぜなら、いかなる定式化にも先立つものだからである。
サハジャは、過去に戻ることではなく、常に現在である「始原」への回帰として機能する。それは世界の現象を否定するのではなく、それに執着することなく貫いていく。カビールが描くこの関係——「相互内在」——は、聖なるものが別の場所にあるのではなく、まさに存在の厚みの中に、すでにそこにあることを示唆している。ここでの智慧は教義ではなく、世界に在る一つのあり方であり、すべてが同時に自己であり、他者であるような在り方である。